芝園団地の歴史

私たちが拠点を置いている芝園団地は、以下のような場所にあります。

住所としては川口市芝園町の一部ですが、蕨市との境にあり、最寄駅は蕨駅となります。上の地図を見てもらえばわかりますが、芝園団地周辺の地域は皆「芝〇〇」と大字に「芝」がつきます。この一帯を「芝地区」と呼び、川口市を構成する十地区の一つとなっています。芝地区は、1940年に川口市に編入する前は芝村という別の自治体でした。


芝園団地の敷地はもともと、車両メーカーの日本車輌製造株式会社の工場があったところです。同工場は1928年、つまりまだ芝村であった時代に建設が開始され、1934年に操業が開始されました。


日本車輌の社史によれば車両のほか、自動車国産化計画の主軸を担う工場として自動車も製造していたそうです。さらに、戦争の悪化に伴い、軍需工場として突撃用ボート「震洋」も作っていたとのことです。興味深いのは、米軍捕虜がいたことを示唆する記述がある点です。同工場は戦後すぐに操業を再開し、車両・自動車部品など多岐にわたる製品をつくりました。東海道新幹線・小田急線・京成線・各種国鉄車両などもここから生まれました。1971年、日本車輌は業績低迷に伴い蕨工場の閉鎖を決定、翌年敷地は日本住宅公団に払い下げられました。


以上から分かるように、芝園団地はまさに激動の昭和時代の象徴ともいえる場所に建っています。その場所に、現在では中国をはじめとする多くの外国籍の方が住んでおり、現代社会の縮図と呼ばれているのは示唆的ではないでしょうか。


参考文献
日本車輌製造(1977)『驀進: 日本車輌80年のあゆみ』
蕨市編(1995)『新修蕨市史 通史編』

(文責:佐藤慧)

国際移動研究会

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